教員の長時間労働は変わらないと思います。
理由の1つ目は、今話題の部活の負担が軽減されても、今まで部活に当てられていた時間が「自主的な」研修に置き換わるだけだからです。
自分が勤務しているところでは、勤務時間外に自主的な研修をするように圧力をかけられます。中学校の先生は部活があるからと、ある程度免除されています。
今までは主に小学校教諭が対象だったその自主的な研修も、部活の負担が軽減されれば必ず中学校教諭にも圧力がかかるはずです。
教員には研究と修養の義務があるとされていますが、それはどこまですればよいものなのか定義できないものです。それが定義されない限り、研修には歯止めがかけられません。
2つ目は、昨今の教員の労働問題に対しての動きです。
最近の教員の労働問題に対して、教育委員会が行なっている手立ては、「19時退勤を呼びかける」「出退校簿を記録させる」「それをもとにして、一定以上の超勤が認められる教職員に対して管理職と面談させる」というものです。
簡単に言えば、長時間労働すると怒られるシステムです。
そのため皆出退校簿は改竄しています。自主的にしなくても、教育委員会への報告の際に教頭が改竄します。面倒が増えるからです。
こんなことは、誰でも予測がつきます。それをそのままに行なっているということは、つまりは変えられないけれど、手立てはうたなければならない、ということです。
はっきり言えば、長時間労働改善の動き自体が、教員の負担増になっているのが現状です。
最後に3つ目です。教員の聖職意識です。
教員は聖職者であると見なされているから、無理難題を求められるし、自分達でもやらなければならないと思う。これが現状ですが、しかし聖職意識がなければならない職業であることも間違いないと思います。
子どもが相手の職業です。誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化せるし、サボるのも簡単です。全ての授業に手を抜いて、毎日をやり過ごすだけなら、残業無しで帰宅することも可能です。職業倫理とも言えると思いますが、その意識をどのように変えていけばいいのでしょうか。どこに線を引けばいいのでしょうか。
時刻が22時だとします。明日の授業準備が終わっていません。そのとき私たち教員は、どうすることが正しいのでしょうか。
子どもたちの事を案じ、教育環境を改善していくことは必要だと思います。必ず変えなければいけないと思います。しかし、教員の長時間労働を問題にするのは時間の無駄だと思います。
現場は現状に適応していくので精一杯なので、これ以上事を荒だてないでほしいというが、一教員の個人的な意見です。
コラム「変えられない問題」
— 教働コラムズ (@kyodo_columns) 2017年9月9日
時刻が22時だとします。明日の授業準備が終わっていません。そのとき私たち教員は、どうすることが正しいのでしょうか。
https://t.co/HiUxWDTkyt
コラム「変えられない問題」
— 教働コラムズ (@kyodo_columns) 2017年9月19日
全ての授業に手を抜いて、毎日をやり過ごすだけなら、残業無しで帰宅することも可能です。職業倫理とも言えると思いますが、その意識をどのように変えていけばいいのでしょうか。どこに線を引けばいいのでしょうか。
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