部活動の意義と理解

 桜宮翼@TubasaTeacher

(東北 20代 小学校教諭)2017


 

私は,小学校教員だ。

まさか私が部活動を受け持つことになるとは思わなかった。

私の勤務地は,部活がある学校と無い学校がある。

以前勤めた学校は,部活のない学校。

異動となり,部活がある学校で働くことになった。

 

校長から言われた。

「あなたには,部活を持ってもらおうと思っている。」と。

異動先で最初から印象を悪くする必要もない。

校長から命令だから仕方がない。

やるだけやってみるか,と考え,引き受けた。

 

 

 

着任して,数週間。

自分の認識に甘さに気づいた。

部活がある学校と無い学校があるということは,部活に対しての考えに差があったのだ。

ある教諭は部活を指導している教諭に対して,

「教師の本分は授業!授業も中途半端なのになんで朝から部活に行っているの。」

理解できる。その通り。だが腹が立つ。

その当時は,校長からの命令で,校務として働いているつもりだったからだ。

 

また,ある教師は,「土曜日も部活なんて大変ね。」と言っていた。

しかし,それだけだ。

同情するなら手伝ってくれ。

どの教諭も他人事である。

金曜日に友人から飲み会の誘いが来る。

次の日の部活を考えると,断らざるを得ない。

飲み会に参加した時もあったが,気持ちよく飲めない。

平日に飲むようなものだ。

 

 

 

また,交通費も出ない。

他県での大会の時,旅費が30000円かかった。

土日,仕事をして,部活の子ども50人の体調管理をして,-30000円である。

教頭におかしくないかと掛け合ったが,

「仕方がないこと。子どものためならそれぐらい。そんなに嫌なら,行かなくていい。」と。

行かないことなどできず,お金は支払った。

管理職の理解もないことを知った。

 

任せるだけ任せる。

何も管理していない管理職だ。

小学校での部活動は絶対加入ではない(中学校も本来は絶対ではないが)。

その中途半端な存在が,同じ教員からも理解されない原因となっている。

 

部活を持っているからといって,減らない業務量。

部活を持っていなくても定時で終わるわけがない業務量。

部活の顧問をするだけで,定時退勤は不可能,土日の出勤が確定する。

手当は土日の3000円のみ。

どんなにやっても3000円。

教師がお金の話をしてはいけないのか。いや,そんなはずない。

教師も人間であり,労働者の一人である。

管理職にベン図を教えてあげたい。

 

部活動の意義はわかる。

以前の学校での話であるが,「授業に落ち着いて参加できない。」「クラスの子に暴言・暴力をふるう。」「学校を休みがちになる。」など,あまりクラスになじめないA君がいた。

なんとか無事,卒業することができ,中学校に入学することができた。

A君と同じ卒業生が小学校に遊びにやってきたとき,A君の様子を聞くと,「人が変わったように頑張っている。小学校の時に比べて学校に行くことが楽しみになったよう。

授業もなんとか聞いているみたい。」などと言っていた。

なにが彼を変えたのか。

話を聞くと,「バスケットボール部が楽しみで学校に行っているよう。朝練や放課後練習があり,それをするには,学校で授業を受けることになるから。」

なるほど。

あれだけ小学校で暴れまわっていた子を熱中させる部活動。

学校嫌いだったA君が学校を楽しみにさせる部活動。

スポーツの楽しさに触れ,毎日のように打ち込める部活動。

部活動が学校を“楽しみなもの”へと変えたのだ。

A君にとっては,バスケットボール部という存在が彼の居場所になったのだ。

おそらく,小学校の彼を知っている人,ほとんどが,部活をしている今の彼の方が良いというだろう。

目を輝かせて学校に行き,部活で友と汗を流し,友達と談笑し,授業を理解しようと励み,また部活で汗を流し,帰宅する。

部活の大切さを理解した瞬間だった。

 

ただ,小学校教諭として,一種の敗北感を味わった気もある(もちろん,小と中で争っているつもりはないが)。

小学校で彼の居場所を作れなかったことだ。

私は彼を担任していない。

しかし,私が担任していたとしても,彼の居場所を作ることができたかどうかは疑問だ。

小学校という場では作ることのできなかった,何か一つに打ち込める存在。

部活動というその存在が彼の居場所を作った。

それはうれしくも悔しい事実であった。

 

 

 

私は今年,部活動を拒否した。

数年しか受け持たず,部活動の拒否をした事実に管理職,同僚,保護者,周りは驚いた。

私のあとを埋めようと職員会議で「みんなで支え合ってみていきましょう」となった。

その職員会議から3ヶ月経った。

支え合っている様子は見られない。

数名の部活動担当になった教諭が指導に当たっている。

ほかの教諭はパソコンと向き合っている。

やはりみんな他人事だ。

 

教師をしながら悩む。

授業を楽しみに学校に来てほしい。

しかし,クラスの子ども全員が全教科を楽しみにすることができるか。

それは現実問題難しい。

自分で選び,自分の力で励む部活動,学校を楽しみに登校させる一つの手段として,部活動の意義はあるのではないか。

 

日々迷いながら生きている。

部活動はあってもよい。

しかし,教師がすることなのか。

場所の提供,責任の所在は外部に任せても良いのではないか。

土日は休み。勤務時間は8時半~17時(休憩は45分)。

これを守れない部活動の現状。

意義,理想,現実,すべてにおいて考え直す時が来たのではないかと思う。