「文武両道」という校訓を掲げる学校が非常に多いのは御存じの通りです。
簡単に言うと勉強もスポーツも両立しながら一生懸命やる校風である、という意味でしょう。
では、ここでいうスポーツとはいったい何を意味しているのでしょうか。
学校で勉強とスポーツを両立すると謂ったとき、多くの場合スポーツとは部活動を指します。
進研ゼミから送られてくる漫画なんかでも、両立というと部活動で活躍しながらテストで好成績を残すことを謂っていますね。
「文武両道」の「武」も教科体育での指導を意味する場合もありますが、
多くの場合では部活動か、もしくは教科体育と部活動の両方を示していると感じられます。
この「武」、つまり部活動ですが、果たして校訓になるべきものなのでしょうか。
勉強と部活動の両立を学校がスローガンとして掲げた時、
それは即ち、学校が生徒に対して部活動への加入及び活動を押し付けている形にはならないでしょうか。
勉強と部活動の両立は大変難しく、努力を要します。
だからこそその達成には意義があると私も感じますし、生徒の成長にも繋がるでしょう。
しかし、部活動は必ずしも参加し、そこで努力することが義務付けられているわけではありません。
例えば勉強一本で志望校にどうしても合格したい、という学校生活だって立派なものだと思いますし、
校外活動に精を出したい生徒も、のんびり過ごしたい生徒も、全員の価値観が認められてしかるべきだと思います。
これらの生徒は学校の示す「文武両道」ではないですが、否定されるべき価値観ではありません。
それなのに部活動に参加することが多数派となっているため、
部活動以外に時間を割いている生徒が肩身の狭い思いをしている現状があります。
「文」と「武」をまるで活動の両輪のように位置付ける学校も多いですが、
あくまで部活動という「武」は課外活動の一種で、おまけのようなものです。
授業時間数を決められて、身に付けるべきものだとされている「文」とはわけが違います。
並び立つ「武」があるとすれば、それは週に数時間の体育の授業の時間内で培われるべき能力のはずです。
そこを勘違いしている教員・生徒が多すぎて、部活をするのは当たり前、
やっていない生徒は恥ずかしい、という文化が生まれるのではないでしょうか。
こういった意見に対する反論として「帰宅部には部活の素晴らしさはわからない」というものがよくあります。
逆に、部活に熱心だった方も帰宅部の美点に気付けないという意見は無視されてしまいます。
経験したことが無いのに部活をやらない人のことをどうしてわかるのでしょうか。
このように無条件で部活をやることは美徳、やらないのは逃げ、という文化の象徴が「文武両道」だと思います。
部活が盛んな学校なのは結構ですが、校訓にすると生徒の活動を縛ってしまう、そう思います。
コラム「「文武両道」は正義か」
— 教働コラムズ (@kyodo_columns) 2017年7月4日
勉強と部活動の両立を学校がスローガンとして掲げた時、それは即ち、学校が生徒に対して部活動への加入及び活動を押し付けている形にはならないでしょうか。 https://t.co/L86LNTqts4
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