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いわゆる中等教育部活動は、ラーメン屋が寿司を握るようなもの

20代理科教師 20代 高校

 

 

 

こんにちは。

僕は、ラーメン屋の店員です。小さい頃からラーメンが好きで、ラーメン屋になりたいと思って、日ごろから近所のラーメンを食べ歩いたり、時には遠出したりしてラーメンの研究に明け暮れてきました。また、有名な大将のところに弟子入りして一生懸命ラーメンについて学んできました。

そして、今年、やっとの思いでラーメン屋に就職することができました!

 

ここまでの話をすると、順風満帆な人生だと思われるかもしれません。

しかし、最近悩みがあります。今日はその相談をさせてください。

 

 

 

 

実は、自分はラーメン屋なのに、お寿司を握らされています。

 

嘘ではありません。それもラーメン屋の勤務の後に、寿司を握るように言われるのです。ラーメン屋の業務が終わっていないときは、寿司を握った後にラーメン屋の業務に戻ります。本当に意味が分かりません。でも握らないといけないのです。「握ってくれ」と言われるだけでも意味が分からないのに、寿司を握っている間は賃金が発生しません。自分は断りたいです。それでも、先輩や周りの従業員から「みんなやってきた」「みんな辛いんだ」「俺もやってきた」「俺も辛いんだ」と圧力をかけられます。中には「私は寿司を握るのが好きだから苦とは思わない。君も握ることを楽しめばいいんだよ。」という人もいます。自分の同僚はその寿司握りを断り、先輩から圧力をかけられた挙句、違う店に左遷されました。大好きな同僚だっただけに、そんなことになるなんてショックでした。

 

もっと言うと、僕はラーメンの出来よりも寿司の出来を求められることがあります。「アイツは寿司も満足に握れねえのか」なんて言葉も先輩やお客さんから言われたりします。また、休日もありません。ラーメン屋で働いていて、ラーメン屋での勤務の後に寿司握りを3時間~4時間やらされる上に、ラーメン屋で2日与えられている休日も1日中寿司握りをさせられます。お寿司を食べたいお客様がいる限り、その環境を守ることが我々飲食店の使命なのだそうです。

 

さらに、寿司は生ものですから衛生管理が厳しく、アニサキスやら寄生虫やらの注意管理が厳しく、自分のできる範囲で予防策をとっても食中毒などの問題が起きる可能性はゼロではありません。お客様になにかあっては一大事です。

 

腑に落ちない部分はまだあって、寿司握りの仕事にかかる費用は全て自分の負担です。寿司屋としての作業着や、魚を捌くための出刃包丁。全て自分の負担です。

 

僕は、ラーメン屋です。ラーメンが美味いとか、マズいとかでラーメン屋失格の烙印が押され、ラーメンで通用しなくてラーメン屋を諦めないといけないのであれば、まだ諦めがつきます。でも寿司でこれだけ精神的に追いつめられると思いませんでした。本当に血涙を絞る思いです。もう寿司なんて見たくもないです。

 

どうしたらいいでしょうか? 僕はラーメン屋を諦めないといけないでしょうか?

 

 

 

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「なんだこの文章は?意味が分からない。筆者の意図が分からない。」

 

と思った方もいるでしょう。それが普通の感性だと思います。申し遅れましたが、私は教育関係者です。

 

ラーメン屋が、寿司を握るよう言われるなんてことは通常はありえません。しかし、このようなことがまかり通ってしまう業界があります。それが教育業界。特に、教師と部活動の関係です。

 

 

 

 

学校は、大前提として勉学を学ぶ所です。また、教師は勉学を教える者です。しかしながら、学校には部活動があります。

 

一般的な教師は「教師になりたい」と意気込み、専門科目を大学で4年間勉強します。その間教育実習や介護等体験といった実習を経て、各自治体の教育採用試験を受験し、晴れて合格すればやっと教壇に立つことができますが、そこで目の前に立ちはだかるのが部活動です。その競技も経験の有無に関係なく割り当てられます。

 

例えば、国語の先生が大学で懸命に国語を勉強して教師になったとしても、バスケ部を担当するということがあります。ちなみに、教員の中でも体育を専門としない人は、大学等でほとんどチームマネジメントや運動生理学等を学んだ人はいないでしょう。部活動に関する科目は現行の大学における教員養成課程にはほとんど無いでしょうが、それでも関係ありません。

 

任されるだけでも意味が分かりませんが、断ろうとすると管理職や周囲の教員から「みんなやってきた」「みんな辛いんだ」「俺もやってきた」「俺も辛いんだ」と圧力をかけられます。あまりにこの拒否が過ぎると、違う学校に異動させられたり、講師の方の場合は管理職から「お前は正式に採用されたくないのか!教委に推挙してやらないからな!」と脅されたりします。

 

私は、教員の真髄は「自分の専門科目の面白さや奥深さ、ロマンを授業を通じて生徒に教え説くこと」だと考えています。しかし、授業の質よりも部活動の成績を評価されることがあります。「アイツは部活一つまともに見れねぇのかよ」と言われることもあります。部活の指導力が評価され管理職に昇進する先生も少なからずいるでしょう。

 

 

 

 

また、休日もありません。いや、あります。しかし、ありますがないのです。授業の後に部活指導をするように言われ、休日は2日ありますが両日ともに、1日中部活指導をさせられます。関連して、休日の部活指導で賃金が支払われることがありますが、4時間以上の指導で3000円程度が相場でしょう。4000円貰える自治体もあるそうですが、一日部活を見ようが、審判をしようがこの賃金は固定です。つまり大会等で8時間束縛されても一日4000円。時給500円です。人間を人間とも思ってない金額で部活動の指導などしたくありません。

 

部活に関わる必要経費も、自分持ちということがあります。例えばバスケットボール部の顧問になると、審判をしなければなりません。審判をするために必要なユニフォームやシューズがあります。まず、それを購入しなければなりません。審判のライセンスを取るための費用も、その講習会へ赴くまでの交通費も出ません。中には、新任で大型バスの免許を取る先生もいます。実際、部活顧問の運転による大型バスの事故も起きています。冷静に考えて異常事態だと思います。教師の仕事とは何か、それが揺らいでいると思います。

 

素人であるのに担当にされ、審判をし、保護者や観衆からヤジを飛ばされたらたまらないし、何よりも生徒に万が一の事態があってはいけません。技術指導ができないのに生徒の練習時間を拘束することは、本当に生徒のためになるのでしょうか。それでも、毎日授業をし、部活を見て、休日も部活指導に奪われ、専門性を保とうとすれば、過労状態になってしまいます。原因は部活だけではありませんが、教員の過労死は確実に存在します。大阪府は堺市で実際に過労死があったようですし、当該教師は堺市の教員採用試験のポスターの被写体に選ばれるほどの模範教師だったようです。理科教師だけれども、未経験のバレーボールの指導に精を出し、しかし、そういう人が「よい」とされる世界なのです。それが求められる世界なのです。

 

 

 

 

「私は部活指導をもっとやりたいのです!」

 

という方々へ。ラーメン屋が寿司握りに夢中になって良いのでしょうか?

あなたはラーメン作り(教科指導・生徒指導)で採用されているはずです。あるいはその道のプロのはずです。

 

「先生!部活指導をもっと増やしてください!」

 

という方々へ。ラーメン屋(教科の専門)に寿司握り(部活動指導)を任せてよいのでしょうか?

 

 

 

 

餅は餅屋。これに尽きます。授業は教師に。運動はスポーツインストラクターに。ラーメンはラーメン屋に。寿司は寿司屋に。専門性が守られなければ、どうして専門で力が発揮できるでしょうか。教師は消耗品ではありません。一人一人の人生に一つ一つのかけがえのない人生があります。

 

子供は未来の宝です。それを守り、育む教員でありたいと強く願うものです。 

 

 

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※2015/3/4 朝日新聞より抜粋

 

2011年に26歳で亡くなった堺市の市立中学校の教諭について、地方公務員災害補償基金が公務災害(労災)による死亡と認定したことがわかった。「熱血先生」と慕われ、市教育委員会の教員募集ポスターのモデルにもなった。強い使命感の一方、授業や部活指導などに追われ、体がむしばまれたとみられる。多くの新人教諭らが教壇に立つ春。市教委は再発防止に力を入れる。

亡くなったのは理科教諭だった前田大仁(ひろひと)さん。教諭2年目の11年6月、出勤前に倒れた。死因は心臓の急激な機能低下だった。

10年春に赴任し、1年目は1年生、2年目は2年生を担任し、女子バレー部の顧問も務めていた。

 

同基金は昨年11月に仕事が原因の過労死と認定した。資料によると、同僚教員の証言などを元に推計した前田さんの死亡直前3カ月の校内での残業時間は月61~71時間だった。国の過労死認定基準(2カ月以上にわたり月平均80時間以上)を下回る数値だったが、残された授業や部活の資料などから、「(一人暮らしの)自宅でも相当量の残業をこなしていた」と判断した。

前田さんにはテニス経験はあるが、バレーの経験はなかった。テニス部への顧問替えも望んだが実現せず、バレー部員に的確な指導をしたいと専門書を読み込み、休日には地域のバレー教室に通っていたという。

約20人のバレー部員と交わしていた「クラブノート」には、「暗い表情をしては駄目!どんな時も明るく自信を持って」「ボールの強さに負けて上体を後ろにそらさないこと」など、励ましや助言の言葉がびっしり。前田さんはこうした作業を主に自宅でしていたとみられる。