· 

何のための学校?

匿名希望 近畿 40代 保護者

 

 

 

中学校現場には境界線がありません。

学校は5日制であるのに、お互いの承諾もないままに土日も休日がなぜ部活にこんなにも使われるのか?

教員、生徒、家庭にも休みがありません。その上、教員には対価もほぼ支払われていない。

日本の法律にこんなことは書かれていません。

これが人権問題でなくてなんでしょう?

境界線が適切に引けないということは争いを起こします。問題を孕みます。

部活に怒涛のように押し流される生活は苦しくてなりません。

 

私のこどもの部活では、学校で毎月スケジュールが組まれ、ほとんどのこどもたちはほぼ毎日の朝練の為に7時に家を出ていきます。

8時25分迄部活、その後授業、放課後は部活。

帰宅はへとへとで18時半過ぎ。毎日11時間半ほどを学校プラス部活の為に使っています。

地元の公立ですので15分程度の距離です。労働基準法での8時間労働よりも長い。

公式戦でもないのに毎週土曜日曜はどちらかが練習試合を組まれ、どちらかは学校で練習。

土日は4時間活動だけの日もありますが、こどもは週7日部活のために出っ放しです。

こどもを送り出し帰るまで気になるので、私たち家族も他のこども達も休日であるのに自由に使うことも出来ず拘束されます。

中体連の大会前準大会前ということでほぼ一年中試合前です。つまり休みがない。

平日でも学校始業前の学校に一体何のためにこどもを出しているのか、目的がなく、ひたすら送り出しています。

 

こんなことで、人間体も気力も持つはずはありません。

どう考えても無理が来て疲れがたまり、怪我も多いのは当然の成り行き。やりすぎなのです。

じっくり勉強などする時間なんてありません。

それどころか、お風呂に入るにも夕食もひたすら急がなくては睡眠もままならないのです。

 

そして、定期テスト前でも試合前だからと練習をします。

怪我もしましたので顧問にやりすぎでは?というと、顧問は言いました。

「そんなことを言っていては、やめるしかなくなりますよ。」

「やる子はやってますよ、塾とかで!」

顧問は教員です。教師としてのプライドはないのでしょうか?

では学校には何をしに行っているというのでしょう?部活のため?といいたくなります。

 

そんなにしてまでがんばっても体は悲鳴を上げ、痛め、練習には参加できません。

どこかを痛めていても部活に行き、片足立ちでも立ったまま見学。それが当然で偉いと、がんばっていると。

顧問はこどもに座るようにもいいませんでした。レギュラーメンバーしか見ていませんでした。

 

何かあると連帯責任とこどもを縛り、部活動を休むと顧問は部員は冷たく、互いが尊重しあうような環境ではまるでありません。

自主活動とはいえ部員であるからにはと半ば強制でもあり休めないのです。

試合前だけ、ではありません。一年中なのですから体罰ではないかとも思えます。

ほかの部も土日に活動もしていたりしますので、部活のメンバーとしかほぼ付き合えず、非常に狭い人間関係を強要すらされます。

つまり、幅広いお友達と付き合う時間もありません。

 

スポーツもインドア活動でも、楽しいですし情熱を持ち何かに力を注ぎ、少しは上下関係もあり、切磋琢磨しあうのはとてもよいことです。

学ぶことも大いにあるとは思います。

ですが、部活動がなぜこんなにも重視されウエイトが高いのか?

しっかりとした義務教育を受けさせるために学校は存在するのではないのか。

知識教養を身につけさせ、人として日本社会としても全体の向上を図るため、寺子屋に始まりこどもに人に力をつけさせ、

未来を担うこどもの育成のために学校を存続させてきたのではなかったか。

勉強がついていけないこどもが、ある意味強制的に部活に参加できないなら話は分かります。

なにが一番重要なことか、見失われていると思います。

 

部活動にこんなにも時間を割き、勉強には「自分でがんばって出来るようになれ!」と放り投げ時間を与えない。

テスト前であっても。

部活動で勝つためうまくなるためには大量に時間を割き、こつこつとex.英単語が習得できるようには時間など割かない。

すぐさま理解に結びつく子どももいれば、時間を割かないと出来ないこどももいます、それが個性であり、人それぞれです。

部活動に追われる教員は疲弊し、それでもなお残業して授業準備し、私生活も十分に送れない。

そんなに疲弊した教員に、こどもは教えてもらわないといけないのか。人として充実しているとはいえない人に。

分からないところがあったとしても部活指導に当たる教員にどうやって質問をしにいけるのか?

いくら学習指導要領が新しくなったとしても、現場が教員も生徒も人間としてまともな生活を送れないのに浸透するわけがありません。

一体なぜこんなに首を絞めあわなければならないのか。だれが得なのか?

 

うちのこどもの顧問は部活をやりたくてやりたくて、の方で、いまどきの教員の働き方改革なんてまったく知りもしないような教員でした。

スポーツ医学の見地すらありません。

こちらのサイトの流れとは相反するように見えるかもしれません。

でも、実は根底は同じだと思っています。

この制度設計のないシステムにあって、現場は適切な境界線が引けず、苦しい現状に置かれている教員たちも、際限なくやるような顧問も許してしまう、生んでしまうのです。

 

中体連の公式、準公式戦はどれほど続くのでしょう?3ヶ月も続くような大会。その後はまたすぐに次の試合です。

メリハリなど有ったものではありません。

顧問はこどもの生活も学校の予定も鑑みず、出場の選択の精査もしない。校長も承認している?

いったいなぜこんなに?各協会団体のピラミッド構造は何か利権が絡んでいるのかと疑いたくなります。

 

いくらでもやりたいやらせたい家庭と保護者もいます。こどもを預かってほしい利用したい保護者もいます。

だからといって学校が際限なく引き受ける必要はありません。

こどもが好きな教師でもお互い人間です、限度があります。

本来の義務教育(いまどき高校も義務教育といえます。)に力を注げるよう、境界線を設けなければなりません。

義務教育現場として適切な部活動の線引き、規定が必要です。

それ以上にやりたいやらせたいのであれば、一部のスポーツや習い事がそうであるように、

学校からは離れて家庭の責任で専門家に委ね、それ相応の費用は支払うべきです。

学校教育現場から搾取するような形は変えていただきたいと思います。

 

部活動を考える上で、もうひとつkeyとなるのは、教員の働き方だけでなく、

中体連など各協会団体も学校での登録をさせるのは手放し、メスを入れる必要が有ると思います。

教育委員会も人員としてもなぜ別団体の運営に関わっているのでしょうね?

学校所属からだけでなく、広く民間市民団体からでも試合できるようにすれば、

スポーツ団体も増え、指導者の収入が成り立つような環境が出来れば雇用も広がり、スポーツする側にとっても選択肢が増えるのではないか。

楽しむ幅が増えるのではないかと思います。

 

学校現場は法律も守れない、人権問題を遵守する意識が低い。そういうシステムになっています。

これが未来を育てる環境?いきいきとした未来をこどもに見せる教師(大人)の姿でしょうか?