· 

財政制度分科会の審議について

中学校教員

 

 

 

10月31日に開催された財政制度分科会で文教予算についての財務省の見解が示された。

要旨として、

 

 

 

1.子供1人あたりに換算すれば諸外国と比べても教育予算は決して低くはない(から、予算は増やさなくても良い。)

 

2.私費の支出総額も諸外国と比べて高いとは言えない。(家庭の負担は高くない)

 

3.今の学校は規定コマ数より多くの授業をしているので、それを減らすことで教師の負担を減らせる。調査物や部活の総量規制をせずに教員を増やせは正しくない。

 

4.小学校の英語は免許制度を見直し外部人材を活用することと、中学校英語教員を配置することで対応できる。(教員は増やさなくても良い)

 

5.少子化の進み具合に比べ学校統廃合が遅れており、小規模校が増え、規模の適正化が進んでいない。(教員を増やす前に学校を減らせ)

 

 

 

 

というものである。これらについて私見を上げていきたい。

 

2についてだが、私費負担率は総額で論じられているため、低所得家庭、子供が多い家庭、子供がいない家庭それぞれの実態の差や負担感が全く反映されていない。これは、親の所得によって受けることのできる教育の質に差が生まれること、奨学金返済で結婚ができなくなる若者の問題に光を当てていない。過度な自己責任を社会が求めつづけた結果の少子化と国力のジリ貧ではないのか。

 

3には頷ける部分もあるが、そもそも教員の持ちコマ数が多いことの問題が反映されていない。教員1人1人がフル稼働で、法律で定められている休憩時間の確保もままならないでいる状況で、コマ数をギリギリまで削減するようなことをすれば、ただでさえ休暇が取りにくい職場はどうなるのか。調査物と部活がなくなっても、授業準備はなくならない。ただ教科書を教えるだけならそれほど準備時間は要らないが、今は一斉授業は否定され、主体的な学びを引き出す仕掛けを要求される時代である。教材の共有化も進んでいないし、評価規準も1から全て自前で用意している。成績処理の電子化も進んでいない。残業代がゼロで病気になっても満足に休めず働いている。またコマ数の欠落は履修問題に発展するため、綱渡りの時数設定は自殺行為にもなる。さらに中学校3年は卒業式が早いため授業日も少ない。時数確保は容易なことではない。

 

4については、外部人材がどれくらいいるのか、どれくらい報酬を用意するのか、いずれにしても簡単ではない。

 

5についてはスクールバス代の負担についてさらに貧困家庭にも負わせるのか議論が必要になる。

 

1については、そもそもこの少子化の状況で1人あたりの予算が上がるのは当然の帰結であり、少子化のままでいいのか、こどもが増えれば教育予算を増やすのかという話になる。現状を是とする中で予算を抑えていることが、若者へ無言のプレッシャーとなって、こどもを持つことをあきらめさせることになってはいないのか。

 

確かに、学校単位で業務を精選する必要は多くあるとは思うが、それでも総合的に見ると説得力に欠ける論が多く、これに負けるような文部科学省では学校の職場環境改善や教職員増など夢のまた夢であろう。奮起を切に願うものである。