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自分らしく生きる~応援リーダーに女子が~

パーシー@remember_wills 九州 公立高校教諭

 

  私は、指導的立場に女性が少ないのはなぜだろうかとずっと疑問を持っている。議員、首長にとどまらず、学校現場においても主任職に女性が少ない。学級役割でも、いまだに委員長は男子、副は女子、と暗黙の了解で決まってしまう。以前、そのようなジェンダー差別の例として校内に「女子は体育祭の応援リーダーになれない・ならない」という慣習が根強く存在することについて寄稿した⇒「表舞台に立つ女性は、なぜ少ないのか」2019。それが数年かけて徐々に改善したので、報告したい。

 

 かつて勤務校では、体育祭の応援リーダーは男子のみと決まっていた。しかし教員、生徒から性の指定に疑問が出始め、職員会議でも過半数の賛同が得られたため規定を改めた。

 

 だがその後も応援リーダーは男子のみ、衣装係は女子のみが立候補し確定する、そのような状態が数年続いた。当時女子生徒からは以下のような声が聞かれた。

・リーダーの性別限定は進学に不利益をもたらす
(調査書にリーダー経験は記載され、推薦入試の際優遇される)
・希望しても周囲から反対される
(例、女性は優しいので表に立ったときに指示が通りにくいのでは?
「初めて」は何でも大変、苦労を買わなくてもいいのでは?
彼氏がリーダーとなりその衣装を縫うことを楽しみにしている彼女から嫌われるのでは?)

 これらの声は、女子リーダーへの思いやりから出ている。大事な友達が新しい役割に挑戦し、悩む姿を見たくない。そういう気持ちはありがたいものであるが、その「思いやり」が逆に女性のチャンスを阻んでいる。
 また教員からも、女子が入ることでこれまでの応援スタイルや服装の変更を余儀なくされるため心配する声が聞かれた。
 
 このようになかなか女子リーダーが出てこない状況が続いた。しかし継続して問題提起を続ける教員がいてそれが少しずつ増えていったことと、女性が生きやすい社会を目指す世論も高まってきたことにより、クオータ制を採用してリーダーを募集することとなった。
 クオータ制導入後初のリーダー決めの際、気をもむ教員をよそに女子が積極的に立候補し、たいへんスムーズに決定した。男子も女子加入を歓迎し、協力してどちらの性別でも見栄えのする応援スタイルを考案していた。体育祭は例年と変わらず盛況に終わり、リーダーになった女子は、学校行事を自分たちの手で成功させたという自信を得、その後の受験勉強もますます主体的に取り組めていたようである。またそれまでは女子が圧倒的多数だった衣装係に男子も立候補し、創意工夫を凝らした衣装を作成していたことも付け加えておきたい。
 
 指導的立場に従事する女性が少ない。#九州の男尊女卑 なるものもあるように、この傾向は九州地区で顕著なのかもしれない。しかし性別に固定された生き方は窮屈だ。私は学校教育の役割の一つに、「理想の社会を考える」ことが入っていると思う。現状はまだ不自由かもしれないが、将来、性別にとらわれず誰もが自分らしく活躍できるような社会になって欲しい。生徒にはそういう「理想の社会」を構築していって欲しい。だから私は教師としてこれからも、ジェンダー差別撤廃を含めた「理想の社会」について、生徒と共に考えていく所存である。
 

 最後に、「応援リーダー効果」について。リーダー経験者は体育祭後に異性から多数の告白を受けるのが通例である。これまでは男子のみがその対象であったが、女子リーダーにもその「効果」は訪れた。彼女はどちらかというと容姿が男性的でそれを気にしていたのだが、リーダーとして積極的かつきめ細やかに動く姿がきっかけで、年下男子から告白されたそうである。ありのままの自分を肯定した彼女の嬉しそうな笑顔に、私も思わず顔がほころんだ。