匿名希望 中部 30代 高校
運動会や文化祭等の学校行事が多く行われる季節。本校でも文化祭が行われました。
そこでのもやもやをひとつ。
学校行事において、教員の仕事とは何でしょうか?
学校行事は、生徒が、限られた時間と予算で組織(チーム)をどう運営して良い成績をあげるかを考え、実践する良い機会だと私は考えています。
どのような学校かによって、どの程度段取りをしてあげるか等の教員のサポートの仕方は変わると思いますが、学校行事では生徒のサポートが教員のメインの仕事だと思います。
高校ではよく言われる話なのですが、生徒が年々幼くなっているように感じます。
3年前の高校1年生と今年の高校1年生ではできることにかなりの差があり、同じ高1を指導するにも内容が変わってきている…と。私自身もそう感じています。
結果として、3年前と同じクオリティの学校行事を行うためには、3年前の教員のサポートでは足りないということが起こっています。
保護者等も来校する手前クオリティを落とすわけにはいかないので、教員が引っぱる学校行事へとなりつつあると思います。教員が作成した動画が流れ、教員が演出を考えた出し物が行われる…というように。生徒が考えた演出が少し稚拙だった場合、教員が自分の思うがままに作り直してしまうこともあります。
ある高校では、生徒が考えた文化祭の出し物のクオリティが低いといって、顧問が演出をし直し、文化祭前3日間は23時過ぎまで練習した部活があったそうです。
当然、文化祭当日も本番中は顧問がマイクを離さず、作品の説明や批評をしていたそうです。
生徒からしてみれば、自分たちが考えたものはすべて却下され、先生の言うとおりに夜遅くまで練習し準備する…これで、主体性等を学べるとは思えません。
しかし、出し物としてのクオリティは確かに上がっているのです。
結果として、保護者も遅くまで練習した甲斐があったと満足し、他の教員も熱心な先生のおかげで良い出し物だったと高評価だったのです。(ブラック部活問題・働き方改革等の視点でみればよくない指導の方法だと思われるにもかかわらず…)
結果としてクオリティが高ければ良いのだろうか…と、私自身はもやもやとしてしまいました。
生徒が幼くなっていて、3年前は生徒に任せていたものを任せられなくなった、という現状は確かにあると思います。ただ、こうして教員がすべてをやってしまうから幼いのでは?と思ったりもします。
クオリティを求めるあまり、教員が手を出しすぎているのではないでしょうか。
確かに、来校した保護者や卒業生、他の教員、生徒たちからは好評でした。教員にしてみても、自分が演出する方が時間もかからず良いものができる上、保護者や同僚からの高評価になるのですから、もちろんうれしいのです。
しかし、小、中、高と進むにつれて、教員も生徒から手を放さなければいけないと思うのです。教員が手を放した結果クオリティが下がり、お客さんからの反応がイマイチだった時、生徒自身がなぜ反応がイマイチだったのか、どうしたら良かったのかを考えなければ、学校行事での学びは少ないと思います。
もちろん、場合によっては教員が引っぱることも必要だとは思います。しかし、生徒の学びのためにもう少しサポートに徹するべきだと私は思います。
コラム「引っぱる or サポート」匿名希望 中部 30代 高校
— 教働コラムズ (@kyodo_columns) 2019年6月29日
ある高校では、生徒が考えた文化祭の出し物のクオリティが低いといって、顧問が演出をし直し、文化祭前3日間は23時過ぎまで練習した部活があったそうです。文化祭当日も本番中は顧問がマイクを離さず。
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コラム「引っぱる or サポート」匿名希望 中部 30代 高校
— 教働コラムズ (@kyodo_columns) 2019年6月29日
結果として、保護者も遅くまで練習した甲斐があったと満足し、他の教員も熱心な先生のおかげで良い出し物だったと高評価。部活問題・働き方改革等の視点でみればよくない指導の方法だと思われるにもかかわらず…
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