· 

全員顧問強制にNOを言ってみました

生駒ノラ 近畿 40代 公立中学校

 

 

 

昨年度、「名前だけ顧問」になり、勤務時間外の顧問業務を外れていた私。今年度こそ、どの部の顧問にも名前を入れないでもらいたい!と希望しました。結果的にまた「名前だけ顧問」になりはしましたが、昨年度からは一歩前進した面もあるので、今年度の顧問決めでのやりとりについて投稿しました。

 

新年度初日、昨年度同様、顧問希望アンケートには「顧問希望はありません。」と書きました。

管理職から呼ばれ「全員顧問制だから名前は入れてもらわないと。」と言われたので「強制なんですね?顧問の強制については、私は全く納得できてません。市教委は顧問の強制はパワハラという見解ですよね。組合の団体交渉のとき、そう言われてました。」と言いました。

 

実は、顧問をお断りしたいと、年度末の人事希望調査の用紙にも書いていました。なので、昨年度から管理職は、私のように顧問希望をしない人が実質的な業務を外れても部活が回るよう、外部指導員探しや廃部の検討など、対応策を準備していました。だから、部活動自体は私の名前があろうがなかろうが、生徒の活動には影響ありません。

 

それなのに、管理職はどうしても、部活動規約に明記されている全員顧問制を維持したい、というところにこだわっていて、「名前は入れてもらわないと困る」の一点張り。おそらく、同じように顧問をやらないと言い出す人が多くなると、外部指導者探しが大変だし、「持ちたい部がないから顧問やりません。」みたいな人が出てくるのも困るからでしょう。

 

 結局「私は、管理職や部活顧問決め担当の先生を困らせたり対立したりするのが目的ではないので、名前だけは入れる、というのは、今回も飲みます。でも、私は決して納得していません。」

というやりとりをし、管理職との交渉は終了。去り際、管理職は小声で「部活ね、なくなれば良いのにね」と呟いてました。

 

 

 

管理職とのやりとりのあと、私がこれまで全員顧問強制のおかげで被ったさまざまな理不尽を思い出し、黙っていられなくなりました。後の職員会議で部活動規約の件になったとき、勇気を出して手を挙げました。日頃あまり発言するほうではないので、いつにも増して緊張しましたが、日頃の思いを言いました。

 

「私、部活顧問、お断りしました。できません。実は昨年も顧問業務をお断りしました。校長先生には名前も入れないでと言いましたが、名前だけ、と言われ、もう一人の顧問の○○さんにご負担をおかけする形で申し訳ないなと、ずっともやもやしていました。今年も名前を入れないでほしいと言いましたが、全員顧問制だから、名前は入れないとダメと言われました。納得はいきません。ボランティアとしながら、全員顧問強制はおかしいです。学校には部活の設置義務はないですし、勤務時間外は顧問業務を職務命令できないですし。

この学校で、今すぐ、全員顧問制をなくすのは難しいでしょうが、私のような考え方してる者もいるということを少しでも知っておいてもらいたいと思い、発言しました。」

 

それに対して周りからは「自分もしんどいけどやってるし、できないと言う人がいると、部活顧問決めの担当の先生は調整するのが大変なのも理解しておかないといけないのでは?」との発言がありました。

 

「私も顧問決め担当の大変さを経験したので、そこは分かります。管理職が代わりの外部指導員探しに苦労されてることや、顧問決め担当の先生にご負担おかけしていることも承知しています。そういうことになるからこそ、全員顧問制ははおかしいと思うんです。ボランティアなら、やりたい人はやる、やりたくない人はやらない、そうでないとおかしいです。」

 

そのあと管理職からの発言もありました。「ノラさんは、部活顧問決め担当の先生を困らせたら悪いから、ということで、勤務時間外の業務はしないにしても、名前を入れるということは了承して頂いてます。部活に対してはそれぞれの考え方があるので、今後、検討していきましょう。」

 

 

 

会議が終わると、介護や育児で大変な思いをしている同僚から「よくぞ言ってくれました!」「ノラさん言ってること、何も間違ってない!正しいよ!」などの声をかけてくれました。部活大好きな先生からも「いやあ、難しいですね、どうしたらうまくいくんでしょうね。」など、皆さんそれぞれの感じたことを言ってくれていました。

 

結果的に今年度も勤務時間外、休日の顧問業務は一切なしになり、さらには、全員顧問強制に異を唱える人、として認識されることになりました。

教育課程外、超勤4項目外、残業手当なし。学校に設置義務なく、教員でなくてもできる業務。そのような業務を、ボランティアとしながらも、希望するしないに関わらず、全員に強制するということが、いかに理不尽で矛盾に満ちているかということをさらに訴えていきたいと思います。