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野球部顧問、過去の生活実態

 匿名希望 30代 公立、野球部の監督

 

 

 

現在、学校の働き方改革が叫ばれており、自分自身もようやく高校教員の働き方や部活動の在り方に疑問を抱くようになりました。自分の過去の生活を思い返してみると、超過勤務時間は100時間をはるかに超えていました。

 

私は子供が好きで、また野球部の監督になりたいために体育大学を卒業し教員に採用されました。採用されてからの生活を投稿したいと思います。

 

自分は、体育科の教員であり担任を担っておりました。また野球部の監督もしており、朝家を出るのは6時前でした。妻と、幼い子供2人を置いて、静かに出て行くのが当たり前になっていました。冬の時期は積雪が多く、もっと早く家を出ることもありました。学校に着くと、手動の除雪機を動かして、生徒の通学路や駐車場、業者の方が入らないところを除雪する毎日でした。7時から1時間以上寒い中除雪をし、時には送迎の保護者が立ち往生するのを助けたり、朝から大仕事です。すぐに打ち合わせが始まり、朝のホームルームに行きます。本校は担任の業務が多く、生徒も担任に頼ってきます。授業の入っていない空き時間は生徒対応、保護者の対応、部活準備や書類の整理に追われていました。お昼休みも生徒の対応が必要なため、昼食は5分で食べるような生活がほとんどでした。

 

放課後は野球部の活動が始まります。冬の時期でも3時間4時間は当たり前でした。1日ほとんど休むことなく働き続ける毎日でした。

野球が好きで教員になり、本校はたまたま古豪であるため勝ちたい気持ちと勝たないといけないプレッシャーと入り混じっていました。家に帰宅するのはいつも21時過ぎになり、子供達は寝ている事がありました。さらに土日も1日部活をしていたので、1週間の平均残業時間は40時間ぐらいで、月に150時間、多いときは200時間に迫っていました。今から考えると異常な生活をしていました。

 

僕を支えていたのは何だったのか、よく分かりません。学校のため、生徒のためと想い、自分や家族を犠牲にしていました。正直体調にも異変があり、精神的に安定せず、今は不眠に苦しんでいます。当時は疲れ果てて寝ていましたが、今は1時間おきに目が醒めるような状態です。夜を迎えるのが毎日怖いです。

 

毎日そんな生活をしていたので麻痺していましたが、今は異常であったと考え直し、働き方を変えています。そう思えるようになったのは妻のおかげです。妻の訴えも最初は素直に聞き入れられませんでした。でも、1人で子育てをさせてしまい、反省しています。

子供との関係も1人目はあまり懐いてくれませんでしたが、今はすごく懐いてくれて、「パパのいる休みは嬉しい」と喜んでくれます。2人目は乳児期から一緒にいる時間をとったため、とても懐いてくれています。帰るとすぐに寄ってくるし、2人で一緒にお出かけや、寝かしつけもできるようになりました。1人目の子供には非常に申し訳なく想います。今は子供との大切な時間を必死に取り戻しています。

 

結婚してから、妻と過ごした時間は少なくてずっと辛い想いをさせてきたと後悔してます。長くなりましたが、まだまだ書ききれないことがあるので後日投稿したいと思います。自分なりの働き方改革や、担任の業務の多さ、部活動の在り方などを投稿できたらと思っています。