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知ってほしい、初任者が見たこと。

point of no return 関東 20代 公立中学校・音楽

 

 

 

新卒初任者でした。

音大出身で、レッスンは実に厳しかったので、メンタルの強い方と思っていました。

何故、ここに寄稿したのか、

学校に勤め、どうなったのか、

知ってほしいのです。

 

 

私は40-70の低血圧で、朝が弱いです。

そのため、夜は遅くまで仕事をし、朝はゆっくり、7時半に学校にいました。

 

しかし、

「7時にいないと、無視するから」

 

と、女性教員に言われました。

この教員、道徳の授業をしません。

それが通用する学校なのです。

 

 

さて、

私は、吹奏楽部の副顧問でした。

主顧問は他教科ですが、実績があります。

 

主顧問の指導とは、

休みなしに練習させ、

指揮棒を投げ、

子供の楽譜をグシャグシャにして

3階の窓から投げ、取りに行かせ、

譜面台を蹴り、罵声を浴びせ、

ミスすれば炎天下の階段を走らせる。

こういったものでした。

 

疑問に思う指導だったので、

拠点校指導教員に相談しました。

しかし、この教員には

 

「自分が受けてるように思うのが悪い。

右から左に流すように」

 

とご指導をいただきました。

 

このような毎日を送るうち、

難聴、体調不良、憂鬱、

判断力・記憶力の低下を感じました。

 

そして、夏。

コンクールに向けた吹奏楽部の指導に加え、合唱コンクールに出場する有志合唱の指導も担当しました。

 

ですが、上記の症状に限界を感じたため、病院に行き、鬱状態と診断されました。

合宿目前だったため、合宿を終えてから管理職に相談し、病気休暇に入りました。

 

休暇中は、

「学校のことを考えずに、自分を労り、見つめ直す時間だ」と言われました。

ですが、週3回は学校や市教委から電話が来ます。

 

この頃、私は、学校が夢に出てきて、

寝ながら叫んだり、暴れたりしていました。

 

病気休暇終了が迫ると、

電話が増えました。

膀胱炎と胃腸炎を併発し、

熱も39度近く出ても、電話にでました。

音楽の先生をやりたかったから。

 

自分の状況を伝えると、校長から

 

「ハァ?社会人としてどうなの?」

 

と言われました。

 

退職を決意しました。

 

 

退職願を市教委に提出する際、

学校のことを聞かれました。

 

隣に校長、教頭がいます。

彼らは、わざとらしいため息をします。

私は、本当のことを言えませんでした。

 

 

退職願が受理され、辞令を受ける日。

 

「次が見つからない」

「3学年7クラスの音楽を1人の先生に任せる」

「退職しても、テストの採点と成績処理はやってくれ」

 

と言われました。

 

これが、私が見てきたことです。

 

ちなみに、この学校、

初任者が吹奏楽部副顧問になって、精神を病み、退職に至ったのは2人目です。

 

歴史は、繰り返す。